2 文鮮明師、全米50州に「希望の日」到来を宣布 ニューヨークから始まった一大復興運動 文鮮明先生が上陸されたアメリカが静かであるはずはなかった。 アメリカ大陸にたちまち聖霊の疾風が吹き始めた。 文先生は、世界宣教のためには、世界の門戸であるニユーヨークに宣教本部を置かなければならないと語られた。 そして伝説が語り継がれるハドソン河畔のウェスチェスター・カウンテイという由緒ある名所に大きな庭園を購入し、まずそこを世界宣教 本部とされた。 庭園の名前は「ペルペディア」と呼ばれ、その後数年で世界的に有名になったところである。 先生汪その時から三年半の間に、アメリカ全土に旋風的な真理運動を起こすと宣言された。 二十世紀後半の物質文明の”公害”のために窒息していくアメリカを蘇生させなければならない、そしてまた、この新しい真理運動はどこまでもキリスト教を中心になされなければならない、と語られた。 韓国ではまだ一度も公式集会を持たれたことのない先生であった。 このように沈黙を守っておられるときには、ふと「先生は大衆の前に立つのを嫌っておられるのではないか?」という疑念さえ生じてくることがあった。 しかし、先生の意図は根本的に違っていた。 先生は世界人類の救済のために与えられた「天の成約のみ言葉」を、まず現代のローマでありキリスト教国家の象徴であるアメリカで宣布しようという計画を、かなり前から持っておられたのである。 一九七二年二月のことであった。アメリカに来られて三ヵ月にもならないときである。 ニューヨークでみ言葉宣布の集会を計画せよ、と言われた。 場所はニューヨークで一番良い有名な所を選ぶようにとのことであった。 さらにアメリカの統一教会信徒たちを驚かせたことは、み言葉を聞きに来る人々に入場券を売るように指示されたことである。 このようなことはアメリカでは前代未聞である。教会の復興会や宗教的な集会に行くのに、音楽会に行くようにチケットを買って入場する習慣はアメリカにはなかった。 入場して説教を聞いて、恩恵を受ければ献金することはあっても、チケットを前もって買う復興会というのは前代未聞である。 しかし先生は頑強であった。 「世俗的なこと、生命とは何の関係もないことには、高いお金を払ってチケットを買って入場しておきながら、生命を救ってくれる真理のみ言葉、神様のみ言葉を聞きに来るときにはただで入場する。 これは天を冒涜することである」と言われた。 アメリカに新しい風土と神に侍る新しい文化を植え付けなければならない、と一歩の譲歩もされなかった。 文先生にはもう一つ別の理由があった。 お金を払ってチケットを買った人は必ず来るということである。 お金を払ったので、元をれろうと思って熱心に最後まで聞くだろうという、アメリカ人の思考方式をも理解した上での決定であった。 しかし、主催する米国統一教会は悩みが多い。 まず第一に、Revo Moon(レバレンドームーン。文師)はアメリカではまだ未知の人物である。 「文師 誰ですかその方は?」。人々からとう質問される。もし彼らに、「地上に訪ねて 来られた再臨のイエスです」と答えたとすれば、相手が「おまえ、気が変になったのか?」と驚いて逃げ出すことは、まず間違いない。 その上、当時先生は英語を話されなかった(今は英語でも説教され言。そのため通訳を通してみ言葉を語られるのであるが、その英語に訳されたみ言葉が果たしてどれほどアメリカの聴衆に通じるかということも、一つの大きな疑問であった。 加えてさらに根本的なことは、先生が一体どういう内容の話をされるのか、信徒たち白身も知らないということである。 先生はアメリカでは、後のヤンキースタジアムとワシントンーモニュメント広場での大集会を除いて、一枚の原稿も用意されたことがない。 聖霊に導かれるままに縦横無尽に語られるのである。 したがって、われわれはすべてのことを信仰によって信じて付いて行くほかはなかった。 これは米国統一教会が、地上に来られたメシヤは、世の中の慣行通りには動かれない方であることを学んだ最初の体験であった。 TOP |